日本で生き続ける「手紙」の習慣

中日伝統文化 | 2019-09-03 16:34|来源:人民網日本語版| 作者:

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中国語での「手紙」は「トイレットペーパー」という意味だ。だから日本語の初級者のクラスでこの言葉が出てくると、学生はどっと笑う。海を隔てたあちらとこちらで同じ言葉がこれだけ違う意味で使われているのはなぜなのだろう。日本語の「手紙」は、中国人にとっての語感とはまるでかけ離れた上品な言葉である。(文:飄飄徐・上海。揚子晩報掲載)

日本で文具店に入ると、封筒や便箋のコーナーから離れられなくなる。洋式のもの、和風のもの、横長のもの、縦書きのもの、エレガントなもの、キャラクターものなど、さまざまな商品が目に飛び込んでくる。とりわけ季節感のある商品は魅力的である。手紙や日記はもともと優雅な習慣だった。周作人もその文章の中で、他人の書いた日記や書簡ほどおもしろいものはないと繰り返し書いている。書簡体は文学の中でも最も味わい深いジャンルの一つだ。だが今の時代、あってもなくてもいいような手紙という形式にこだわりを持ち続けている人がどれほどいるのだろうか。

だが日本にしばらく住んでいると、日常生活の中での手紙のやり取りが依然として多いことに気付く。このような封筒や便箋の売れ行きは日本ではいまだに好調だ。手紙には、電話やメールでは伝わらないものを伝えることができる。日本人は普通、一年のうち少なくとも2回は手紙を用いる習慣がある。1回は夏、もう1回は冬である。

日本は雨の多い国で、梅雨の長雨は1カ月に達する。それからは暑い夏だ。初夏の頃には、日本人は友人に手紙を書いて近況を尋ねる習慣があり、「暑中見舞い」と呼ばれている。この手紙を出すのは、梅雨明けから立秋までの約半月とされる。これが過ぎると「お中元」の時期だ。中元節はもともと中国を由来とするが、仏教の盂蘭盆と合わさって、仏事が盛んに行われる時期となる。宗教をいったん離れると、この時期は贈り物をする時期でもある。親しい友人に贈り物をすると同時に、暑い夏の中で安否を問う手紙を添えれば、いたわりの気持ちがより伝わる。立秋を過ぎた後に手紙を送ったり、暑中見舞いのお返しを遅れてする場合は、「残暑見舞い」を送る。

手紙の習慣は冬にもある。新年には年賀状を送り合う。時代が変わっても、この習慣がすたれる様子はない。前年に不幸のあった家は新年を喜ぶ年賀状を送ることはせず、新年が明けてから立春までの間に「寒中見舞い」を出し、年賀状の時期からは少し遅れて気遣いを示す。

学校の仲間が卒業したり転校したりした時などにも、手紙を送り合い、ともに過ごした日々への感謝や考えを伝え、これからの学習や生活に向けて互いに励まし合う。友人の誕生日や結婚、栄転、出産などの際、贈り物とともに祝いの手紙を届ければ、気持ちがより伝わることとなる。

短い手紙でも汲み尽くせない気持ちは伝わる。人類の言語は文字にしてこそ、より大きな力と重みを持つこととなる。思いついた時にふと手紙を出してみれば、騒がしい世の中の一陣の風、一抹の光として、心の奥底の静かな場所を照らし出してくれる。